Oshio's diary 2

さもありなん。2

Linuxのkernelのソースコードと、日本の法律の六法全書の文字数の比較はおもしろいのでは?

2022/01/12 追記。

↓の感想。うそ、逆じゃないか。

逆に六法全書が洗練していて、Linux kernelは肥大化されてた、と読むべき時点のようだ。ふむふむ。

 『 Linuxソースコードは2020年に2780万行に達した。それ以降もその規模は増大する一方だ。Linuxは、30年が経過している他のソフトウェアプロジェクトと同様に、その長い歴史の中でソースコード中にかなりの量の垢をため込んでいる。』(https://japan.zdnet.com/article/35181877/

 

 

(きっかけ)

ビジネス法務的な、契約自由の原則から着想し、ここさいきんLinuxの基本、Kernelとはどんなものか、という読み物もよんでたので、ひらめいてしまった!のでめも。

 

つまり、システムを記述する最小限のコアの部分でる2つのテキストは、同じぐらいのボリュームになるのかな?

A.

六法全書 → 概算10s ggって、辞書一冊30万文字→概算100万文字、よって、600万文字。

Linux Kernel → 2000万行以上

 

圧倒的ではないか。言語の親和性なのか、でもどちらもそこそこ安定した記述方式を採用していないか?

あと、どちらもコアだけではシステムは運用できないし、ペリフェラルな法・令・則、条例、ガイドライン、OS周辺アプリ、があるので、比較は対等だとおもう。

日本以外の法律も(英米法は判例法主義で冗長だよねきっと)といいつつ、いま断念。成文法主義との比較だな。拡張して判例法主義と比較するならば、それってOSが遅いのといっしょでは。悲しくなってきた。EOF